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健康まめ知識

学校給食の「食と健康」(2007年7月)

 

学校給食の「食と健康」

つくば国際短期大学

准教授 板倉 洋子

 
 
 
 学校給食の歴史は明治22年山形県鶴岡市(学校給食発祥の地として碑が建っている)

で困窮家庭に昼食を無料で供されたことが始まりです。第二次世界大戦時に一時中断しましたが、昭和21年12月11日付け、「学校給食実施の普及奨励について」が文部、厚生、農林三省から次官通達が出され、新しい学校給食制度がスタートしました。

食糧不足の中で連合軍放出の物質・ユニセフ・ララ(アジア救済連盟)の援助物質、脱脂粉乳と缶詰類によって、昭和22年1月からは全国都市部の約3,600校、29万人に対して学校給食が実施されました。茨城県でも水戸、土浦、日立の21校で米軍の軍用缶詰と脱脂粉乳を主材とした補食給食・他の市町村の145校ではミルク給食が実施されました。

(当時では一般に普及していなかったコンビーフ・牛肉の缶詰、脱脂粉乳と家庭から持ち寄った野菜で給食を作り、児童の栄養失調を救っていました。昭和28・9年頃でしたがアルミニウム食器から伝わる温かさとほんのり甘いミルク給食が私は大好きでした)

このように貧困からの救済や栄養補給から始まった学校給食は昭和29年6月「学校給食法」が成立後、給食の実施体制は普及・充実して児童生徒の体位向上や栄養教育の浸透が図られました。

現在、茨城県の学校給食実施率は小学校・中学校ともに100%です。(夜間定時制高等学校、県立・国立特殊教育諸学校も実施されています)学校の食事は今や「生きた教材」として食育の教材となり、栄養教育は生涯にわたって児童生徒が望ましい食習慣と自己管理能力を身に付ける、生活習慣病等の疾患予防を”食育のねらい”と変化している。もちろんしっかりと美味しさ、みんなで食べることの楽しさも追及し、数年前の給食とは献立が変わっています。児童生徒を持つご家庭には予定献立表が配られているのでぜひ毎月ご覧になってください。

 (以前、服部幸生さんが食育講演会の中で健康寿命と平均寿命についてお話をされました。健康寿命と平均寿命の差を比べると欧米では大体5年なのに対して、日本では女性が9.13年、男性が6.77年と長い年月を寝たきりや痴呆症で長生きしなければならない。超高齢化を迎える前の数値に驚き、幼児期・小中学生の時から「食事と健康の関連」を学び良い食習慣を持つことの大切さを痛感しました。)

さて、平成18年4月以来、茨城県で20名の栄養教諭が採用になっています。県内の学校栄養職員は274名ですが内20名が栄養教諭として、赴任した地域全体の食育を推進するため課題を探り、食に関する指導のコーディネータとして、大きなエンジンを駆けてひた向きに頑張っています。

栄養教諭制度が施行された平成17年度は全国の配置がわずか34名でしたが(茨城県は0人)、平成18年度359名(茨城県は10人)、平成19年は974名(茨城県は10人)と配置人数が増えています。

現在学校給食は学習指導要領の学級活動に位置付けられ教育の一環であること、給食が持つ影響力の大きさ(児童生徒・家庭・地域との連携)と栄養教諭が推進した教育の結果と食育を推進する姿勢(学校・家庭・地域の調整役として)がこの配置人数に表れていると思われます。また現在、勤務している学校栄養職員も栄養教諭認定講習会を受講し、資質の向上を図っていることも大きな推進力になりました。

早寝早起き、朝ごはんの標語を基に平成22年までに朝食ゼロにしようとする食育活動と食料自給率の低下に歯止めをかけ、地域と密着した学校給食の運営推進の一つとして給食で使用する食材の30%以上を地場産業で賄うことが学校給食の課題になっています。

日々、食事が持つ意義が進化し、中でも学校・家庭・地域との連携した取り組みが今一段と加速されています。推進を担う栄養教諭・学校栄養職員の資質向上を図るため、第48回目の全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会が7月26日・27日水戸市に於いて開催されます。約1,000名が実践発表、シンポジウム、10の分科会等に分かれ、児童生徒に対する食に関する指導のあり方や学校給食の充実方策について研究協議が行われます。

給食が「生きた教材」であるという所以は

(1) 生活習慣予防のねらいを持った給食を食べる。
(2) バランスの取れた食品の組み合わせ方や食事量を食べ続けていくことで学ぶ。
(3) 生涯に亘って健康に良い食品を選択できるよう論理的な組み立てが習慣化する。

このねらいを持った給食は「生きた教材」であるという所以です。

 

 

 

2007年07月28日